残酷

 生者の世界と死者の世界、その間に狭間の世界がある。そこにそびえ立つ黄泉の門を通って、死者は黄泉の世界へと旅立っていく。今また黄泉の世界に招かれし者が、一人狭間の世界に降り立った。

 長い上着をふわりと広がせてランジュールは着地した。痩せた体にさらりと上着をまきつけると彼は呟いた。
「ふぅん、もしかしてここが死者の世界ってやつ?」
 ランジュールはきょろきょろと辺りを見回した。深い霧に覆われて何も見えない。彼を飲み込むようにして霧が彼を包みこんでは流れ去っていく。
「凄いねぇ。まるで雲の中を飛んでるみたいだよ」
 ランジュールは豪快な景色に見惚れた。しばらく立っていると、かすかな声が聞こえてきた。
「おやぁ、他にも誰かいるのかな?」
 ランジュールは耳を澄ませた。しかし、次の瞬間その整った顔をきゅっとしかめる。
「なぁんだ、泣き声か。ああいうのって関わると面倒なんだよねぇ」
 ランジュールは顔を背けた。しかし、その後も漂ってくる泣き声が、ツンツンと彼の鼓膜を突き続ける。彼は、はぁ、と降参のため息を漏らした。
「しょうがないな。このボクにため息をつかせた罰は大きいんだぞぉ」
 
 ごつごつとした大地を踏みしめながらランジュールは声の元に向った。やがて、霧を通してぼんやりと小さな丸い影が見えてくる。
「そのしんみりとした泣き声やめてくれないかい?」
 ランジュールが話しかける。ひたと泣き声が止まった。
「だ、だれ!?」
 幼い少女の声だった。軽い足音が聞こえ、彼の前に女の子が姿を現した。泣き声からそうだろうとは思っていたが、小さい女の子の姿にまたランジュールは気を落とした。彼にとって泣いている人を相手にするのは面倒だ。それが子供だともっと面倒だった。しかし、長くはくよくよしない性格なのかすぐに気を取り直す。
「ボクはねぇ、ランジュール。魔獣使いさ」
 誇らしげに名乗ってランジュールは女の子を見下ろした。
「半分透けているキミは女の子のお化けさんだね」
 女の子の目がきつく絞られた。
「お化けなんかじゃないもん。ヘレナだもん。おばちゃんだって透けてるじゃない!」
「おばちゃん!?キミすっごぃ失礼だね!この華麗な美青年を捕まえておばちゃんだなんて!」
 ランジュールがきいきいと喚いた。ヘレナがきょとんとして彼を見上げます。
「お兄ちゃん?」
 ヘレナを睨み付けてランジュールは言った。
「ボクのどこをどう見たらおばちゃんなんだい!?それにボクをそこらへんの幽霊と一緒にしないで欲しいなぁ」
 うふふ、一転して不気味な声でランジュールが笑った。目を見開いたヘレナの前で白一色の霧の世界に赤色が広がる。透けていたランジュールの上着が艶やかな赤色に染まったのだ。綺麗だった。だが、どこかしら妖しい雰囲気を感じさせる。
「魔獣使いは魔法使いの一部だからこれぐらいはできるのさ」

 ランジュールは愛おしそうに綺麗な上着をなでた。そこへ風が吹き込んだ。幽霊である二人さえもが寒さに身を縮める程の冷たい風だ。
「キミとおしゃべりをしている場合ではなさそうだねぇ」
 うふふ、と笑いながらランジュールは前方を見遣った。魔獣使いは暗殺を請け負う者だ。ぐんぐんと近づく危険感にランジュールは舌なめずりをした。霧の中を移動して大きな影が二人の元に近づいてきた。
 影が止まった。二人のすぐ傍に立ったその姿は身長三メートルを超している。冷たい笑みを浮かべていたランジュールだが、急にその顔から表情が消えた。ランジュールの体が宙を飛んだ。着地で石がじゃりっと激しく踏み潰される。
「おっと、危ない。キミは感情を吸うレイスだね。そう簡単にボクの感情は奪えないよ」
 レイスは人の感情を奪い、恐怖心のみを植えつける。距離を取ってランジュールはレイスを睨み付けた。
「アラガウノカ?」
 刃物のような声でレイスは問うた。骨だけの指が剣の柄を掴むと、冷たい冷たい光を放つ刃が現れた。ランジュールが冷笑を浮かべた。
「ボクに勝てると思ってるのかい?」
 ランジュールはしゃがんで大地にわずかに生える草をむしりとった。草を宙にまきながらランジュールは歌うように言った。
「草がある場所には獣がいる。そしてボクは魔獣使――」
 言い終わらぬうちにガシャンと金属音が鳴り響いた。レイスの繰り出した剣をランジュールが短剣で防いだのだ。ランジュールは更に後方へと飛び下がる。
「お兄ちゃん!」
 ヘレナが叫び声をあげた。
「もぉ、あったまに来るよキミ。人の言うことは最後まで聞くものだよレイスくん」
 のんびりとした口調とは裏腹に、ランジュールの目は鋭い殺気を帯びていた。暗殺者の目だ。
響く蹄の音ともに黒い馬がその場に駆け込んだ。不思議な馬だった。その黒い体には透明感があって、中の骨まで透けて見えそうだった。上着を翻してランジュールは魔術で呼び寄せた馬の背に飛び乗る。そしてそのままレイスを蹴り倒すべく馬を前進させた。
 レイスが剣で払うのを身軽く避けると、馬の後ろ足がレイスの巨体にめり込んだ。
悲鳴のような怒声が耳をつんざいた。レイスが蹴り飛ばされると共にランジュールが放った短剣が、レイスの頭部と思われるフッドの中央に突き刺さっていた。蹴る際に後ろ向きになった馬が再び前を向いた時、既にレイスの姿は無かった。
「お兄ちゃんすごい!」
 ヘレナがランジュールの元に駆け寄った。しかし、荒い鼻息を出している馬に怯えたのか少し距離を置いている。
「大丈夫だよ。このクーちゃんは本当はおとなしいんだから」
 馬から降りながらランジュールが言った。
「クーちゃん?」
「このコの名前だよ」
 ランジュールはポンと馬の体を叩いた。
「えー、ハトみたい」
「ひっどぉい!ボクのネーミングセンスにけちをつけるのかい!?」
 ぷんぷんとランジュールは頭を振った。その拍子に彼の体が崩れた。半透明な彼の体が透明感を増す。肉体の無い状態で戦ったために、魂が弱まったのだ。身を起こすとランジュールは言った。
「レイスの他にもいろいろいるだろう。ボクはここを離れる。キミもいそいだ方がいいよ」

 ランジュールはレイスの消えた霧の先を見つめた。霧のベールに包まれた向こうに、多くの恐怖が潜んでいる。彼にはそんな気がした。


終わり
*あくまでも二次小説です。オリジナル「勇者フルートの冒険」では起きていない事柄を空想(妄想?)しています。
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