魅せる輝き

 朝の八時、それは古都ブルンネンシュティグに住む人間のほとんどが、起きて働いている時間だ。しかし少年アランは、健やかな寝息をたてながらまだ布団に包まっていた。閉められたカーテンを通して差し込むオレンジ色の光が、彼を心地よい温かさで包み込んでいる。そんな彼の至福な寝坊のひとときは、残念なことに唐突な外部からの侵略によって乱されるのであった。
「こら、起きなさーい!」
 勢い良くドアを開けるなり少女が叫ぶ。
「おじさん達がいないからっていつまで寝てるのよ!」
 少女の声のあまりの音量にアランの寝室はびりびりと震える。うーんと呻き声をあげてアランが動き始める。やっと起きたか、と少女はため息をついた。しばらくの間ベッドの上でもぞもぞと動いていたアランだが彼の脳はある結論に至ったようで、少女に背を向け窓側へと寝返りをうつとまた夢の世界へと戻っていった。スーっとその青い目から殺気を漂わせ、少女は側に立て掛けてあった箒を手に取る。突きの姿勢を取り瞬時に狙いを定めるや否やグサッと布団の中の丸まった物体を串刺しにすると、少女は痛みに悶えるアランを残してさっさと階段を降りていった。
「うぅ゛……」
 あまりの痛みに縮こまる内臓を宥めながらアランはなんとか服を着替える。床に転がっている箒を手に取ると少し恨めしい視線を送りつつそれを元の場所に立て直した。


 下へ降りると少女がせっせと朝食を並べていた。少女の名前はフュリ、隣同士な彼女とアランの家は親しい関係にあった。
 テーブルについたアランを山盛りの朝食が出迎える。自分の胃に向かってアピール合戦を繰り広げる食材達を見つつアランは小言を漏らす。
「フュリ、俺、朝は小食なんだけど……」
 アランはいつも朝食を牛乳コップ一杯で済ませている。
「それぐらい食べられなくてどうするのよ、だらしのない」
 フュリはパクパクと余裕で自分の分を平らげていく。
「でも起き立てに分厚いベーコンは……」
「文句言うぐらいなら早起きしなさい!」
「……」
 食べ物が絡んだときのフュリへの恐怖心をスパイスにアランはなんとか朝食を平らげる。今アランの両親は旅に出ていていない。そこで朝に弱いアランを手伝うために、ここ最近フィリはアランの家を毎朝訪れている。しかしフュリがアランの家に通うのにはもう一つ理由があった。
「ねぇ、アラン、新しいクエスト受けてきたわよ!」
 目を輝かせながらフュリが切り出す。やはりそうかと、アランは軽くため息をつく。
 元ランサーの母と元傭兵であった父の冒険談を聞いて育った影響からか、フュリは幼い頃から冒険が大好きだった。そんなフュリの暴走を案じて、両家は冒険にはアランと組んで行かせるようにしたのだった。二人は既に比較的安全な一つ星のクエストを数多くこなしていて、近所でも若い冒険家のコンビとして知られている。
「依頼主はクレンドルさん、依頼内容は沼地洞窟に生息するクラゲのサンプル採取!」
 アランの家から漏れ響くフュリの活き活きとした声にふと小首を傾げて聞き入る庭の小鳥達の姿があった。
 沼地洞窟はナス橋を越えた辺りに広がる沼地地帯にある。古都ブルンネンシュティグの南口を出て二人はナス橋へと進む。
「今年は豊作ねぇ」
 フュリは道の両脇に広がる果実園を見ながらつぶやいた。
「おう、ありがたいことにな」
 ふいに茂みの中から声がしてのっそりと大男が現れる。
「ハ、ハバンのおじさん」
 農家の作業服を着たその男を見て動作を合わせたかのように二人の腰が同時に引ける。幼い頃、果物の盗み食いをして二人はしょっちゅうハバンに追い回されていたのだ。そんな二人に苦笑しながらハバンは背伸びをする。
「ウーン。今日は二人でクエストか?」
「はい、沼地洞窟にくらげのサンプルを採りに」
「沼地洞窟か。あそこは得体のしれない奴等がいるから気をつけろよ」
 ハバンは眉を少し寄せて忠告する。
「は、はい気をつけます」
 沼地洞窟の不気味な存在よりも今の二人にはハバンの方が怖く、別れを告げるとそそくさとハバンの畑を後にする。
「まったくこの俺が気づかないとでも思ったのか?」
 ハバンは二人を見送りながら呆れた声を漏らした。

「フュリそれ!?」
 少し進んでからアランはフュリのポケットのふくらみに気づく。
「ぁ、ばれた?」
 ひょいっとフュリがポケットの中からリンゴを取り出す。
「つい懐かしくなっちゃって」
 そんなフュリにアランは頭を抱える。
「大丈夫よ、気づいてなかったみたいだし」
 幸せそうにリンゴを頬張るフュリの背後で先程ハバンが見せた意味深げな視線を思い出し、アランは一人身を震わした。

 ギルディル川を渡ると二人は慎重に沼地の奥へと進んでいった。この辺りにはニックスという水霊の種族が住んでいる。普段はおとなしい性質だが刺激すると大きな武器を振りかざして攻撃してくる。ニックスは力が強く、打たれ弱いフュリなどは一撃を受けただけでも意識を失うほどだった。
 途中何匹かニックスを見かけたが戦闘になることもなく二人は無事沼地洞窟の入り口に着いた。
 火を灯した松明を片手にフュリとアランは洞窟の中へと入っていく。くらげは比較的入り口に近い辺りに生息しているはずだった。ここのくらげは飛海月という種類で暗い湿ったところを好んでふわふわと浮かんでいるという。暗く重たい空気の中をヒタヒタと二人は歩みを進めていく。
「いないな」
「いないわね」
 いっこうにくらげが見つからない。その時ボーっとした赤い光が前方に見えてきた。
「あ、他にも人がいるみたいね。ちょっと聞いてくる」
 フュリは光の方へと向かう。赤い光を眺めながらアランはふとおかしなことに気づいた。松明のゆらゆらとした炎と違いそれは空中で不規則なダンスを踊るように動いているのだ。
「フュリちょっと待った」
 アランはフュリを呼び止める。と、そのときサーっと周りの空気が冷え込んだ。目の前の暗闇が歪むような感覚がしたかと思うと、飛び跳ねるようにして炎の塊が二人の方へと向かってくる。
「ゴースト!?」
 ゴーストと呼ばれる火を操る霊がいると話には聞いていたが、二人共実物と対面するのは初めてだった。アランが迫りくる炎を盾で叩き散らすと二人は一目散に逃げる。ある程度離れたところで立ち止まって振り返ってみたが追ってくる様子は無かった。遠くの方で甲高い笑い声のようなものが響いていた。
「ゴーストの縄張りだったのか。どうりでクラゲがいないはずだ」
 彼は炎を受け止めた盾の状態を確かめる。ラウンドシールドと呼ばれる彼の円形の盾には黒いこげあとがついていたが破損はなかった。

「アランあれ!」
 フュリがふいに声を上げる。振り向くとフュリの指す方向にうっすらと青く光る物体が漂っていた。
 (クラゲ!)
 二人は逃さじとクラゲに襲いかかった。クラゲは冷気を帯びた細かい氷の霧を吹き出してくる。その霧をアランが盾で遮っている間にフュリは槍を構えると一気にクラゲを突き刺して仕留めた。短い戦闘だったがクラゲを倒した二人からは安堵のため息が漏れる。
「さあ、帰ろう」
 アランは入り口の方へと進もうとしたがフュリは立ち止まったままだった。
「フュリ?」
「あれ!」
 フュリは奥の方にキラキラと光っている宝玉のようなものを見ていた。
「あれ、淡水亀の卵よ!あれを使って綺麗な耳飾りが作れるの」
 嬉しそうにフュリは卵を採りにいく。やれやれと、アランも続いた。淡水亀の卵はいい値で売れるのでアランも幾つか採ることにしたのだ。卵は神秘的な金色の輝きを周りの暗闇に撒いている。卵をせっせと袋に詰めはじめた二人だったが彼らは気づいていなかった、卵を囲むように丸っこい岩のようなものがたくさん並んでいることに。先に気配を感じたのはアランだった。
(親亀が近くにいたか)
 アランは剣を片手に立ち上がると周りを見て目を見開く。二、三匹程度かと思ったが彼らを囲むように赤い目が二人の周りに何重もの輪を作っていたのだ。アランの様子がおかしいことに気付いたフュリも顔を上げた。
「何これ!?」
「やばい、ここ亀の産卵場みたいだ」
 穏やかで感情を爆発させることの無い亀だが、自分達の卵を袋に詰め込んでいる二人に対してふつふつと甲羅の中に怒りの渦を溜めていた。亀は群れをなして一斉に二人に襲いかかる。ギルディル川の近くでよく亀を狩る二人だが川岸の亀とはまったく違う数と動きに圧倒される。槍で力一杯甲羅を突くフュリだがその攻撃はまったく効く様子がなかった。
「ここの亀私の攻撃が効かない!」
「くっ」
 アランは剣を振るい亀に切り込んでいたが、フュリの言う通りあまり効いていないようだった。
(普通に振るうだけでは駄目か)
 アランは同じ箇所に垂直切りと水平切りを矢継ぎ早や繰り出す十字切りで甲羅を叩き割って亀を倒す。フュリも倒せないまでも懸命に槍を旋回させて亀を遠ざける。
 必死に逃げ道を叩き開くと二人は鬼のごとく亀の群れの中を突き進む。群れを切り抜けると二人は亀の怒気に押されるようにして出口まで走り続ける。
 なんとか外へ脱出した二人はホッとした表情を見せる余裕も無く地面にへたり込んだ。

 その日の夕方、畑仕事も終わってのんびりとくつろいでいたハバンは、袋一杯の卵を背負った武器も鎧もズタボロのアランとフュリが通って行くのを見て目を丸くしたのだった。

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